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〜廻日記特別篇 虹彩炎のこと〜

【第3回】

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最初に行った病院は、ビルの2Fの古〜い感じの病院でした。もちろんコンタクトの処方箋を書くだけのような病院は避けましたがで、行きつけの眼科などあるわけもなく、ましてその頃は実家だったせいもあり近所の病院事情もよくわからなかった為(病院自体あまりないかも)、痛みに耐えながらネットで検索し適当に行ったのです。その時は目薬さえもらえばすぐに治ると思ってましたし。

そこでの診断は「虹彩炎」。症状の説明も上の空で聞いていた気がします。ただ憶えてるのは「車の運転はしないでください」と言われたこと。また朝のような目の痛みが突然襲うかもしれないから、車の運転はしちゃだめだという意味だと思ってました。よくわかってなかったんです。

処方してもらったのは、写真左からミドリンPリンデロンAの二本の目薬でした。写真右のノフロは後から処方されたので、最初はリンデロンとミドリンの2本です。
ちなみに前述の「車の運転はしないでください」というのは、このミドリンを差すと瞳が開いて焦点が合わなくなるので運転するなという意味です。そのことは後日、きちんと知ることになるのですが、この発症当日はそんな思い違いをするほど病院との意思疎通が出来てなかったというか、僕自身が簡単な病気だと思い込んでたので説明をよく聞いてなかったか、もしくは発症直後で痛みもあり説明を詳しく聞く余裕がなかったか、色々あると思いますが、とにかくよくわかっていなかったのです。で、一応目薬をもらい、一週間後に再診とのことで病院を後にしたのですが・・・。

この目薬を差せば簡単に治ると思っていたのに、眩しくて涙が出るような症状はすぐになくなったものの、一週間近くたっても充血はまったくと言っていいほど改善しませんでした。前回の写真程度の赤さなら何の問題ないように見えると思いますが、本人としては赤いなぁ赤いなぁと鏡を見る度に気になる訳で、このまま充血が治らなかったらどうしようと、しかもこの頃ちょうど映像の仕事もあり、気にならない訳にいかなかったのでした。

そして一週間経っても症状が改善しない状況に、病院がよくなかったのではと疑い始めました。誤診ではないかと。たいしてよく見もせずに虹彩炎と診断したような気さえしてきました。心配になり移動の電車の中で携帯で「虹彩炎」を検索したら見ず知らずの人のブログにヒットし、「三ヶ月症状が改善せず、遂に注射を打ちました・・・。」そんな記事を読んではさらに不安を募らせたのでした。

それから今回この虹彩炎のことを書くのに当時の日記を読み返し、思い出したのですが、この頃実家にいまして、ギスギスでもないけど、かなりうまく行ってなく問題が山積みだったのです。そんなこともあいまって、バチがあたったのかとそんなふうなことも考えてました。

そして12月5日(2006年)。この日はファミチョイTVの録りがありました。 昨日から充血がひかないので、といって特に悪化した訳でもないのですが(前回の写真が12/4のものです)、心配ばかりしていてもしょうがないし思い切って大きな病院に行くことにしたのです。当初、東京女子医大に行こうと思い調べてたのですが、たまたま創立記念日かなにかで休診だった為、近所の国立病院に行くことにしたのでした。

国立病院機構 西埼玉中央病院

実家方面では一番の大きな病院です。コクリツ、とわが家では呼ばれている病院です。コクリツに行くのは中学生の頃に謎の腹痛に襲われた時以来です。腹痛の謎は謎のまま何も分からずじまいだったのですが。さらに遡れば幼稚園の時、入院してました。

さてその国立病院で何があったのか。それはまた次回。そのことがなければこの“虹彩炎のこと”じたい書かなかったかもしれません。ただ、最初に行った古い感じの病院の診断は誤診でもなんでもありませんでした。では国立病院で何が!